雑多

日記です。

酒瓶とチョコミント

 高校生の時、カナダに2週間ホームステイしていた。学校行事の一環で、私の高校は、2年生の初めに学年の全生徒が渡航する。とはいえ学年で12クラスもあったから、行き先はクラスによって違っていた。

 私はたまたま、カナダのビクトリアという小さな街に行った。バンクーバーから船に乗って行くところだ。自然が豊かで、住人も比較的裕福な人が多く、穏やかな街だった。海が近くて、私はよく散歩に行ったことを覚えている。

 あの時私は、既に摂食障害で、滞在中も何回か吐いた。甘すぎる現地の食べ物に耐えられなかったのだ。過食嘔吐で動けない日も何日かあった。言葉が通じないつらさや、慣れない異国の生活に戸惑い、疲れもあったと思う。私は英語が得意ではなかった。幼少の頃から英会話を長くやっていたおかげで発音だけはそれっぽいのだが、語彙や単語が足りないので、言葉にできないのだ。後半にはホストファミリーとも、ジェスチャーを含めて色々伝えることができ結果的にはいい旅ではあった。

 パートナーになった女の子が結構自由な人だった。レストランでご飯が出てくるまでの間、文庫本を読み始めたのはちょっと腹が立ったけど、そこまで不愉快だとは思わなかった。彼女とはそこまで仲良くはなかったと思うけれど、何故か、私は声を掛けられた。ただ彼女は私といた、それだけだ。今はどうしているか知らない。とても勉強のできる子だったから、きっと優秀な大学に進学したのだろう。不器用だけれど、悪い子ではなかった。

 実を言うと、あまり多くのことを覚えていない。ぼんやりとしか思い出せない。多分、私にとってそこまで驚いたり、感動したりしたことではなかったのだと思う。私はその時、自分の身体の事への心配事の方が大きかった。それと、この滞在から随分と時間が経ってしまった。もう5年以上前のことだ。鮮やかに思い出すには、時間が経ち過ぎている。

 何故こんなことを思い出したのかというと、少し前に取材で留学について聞かれ、話したからだ。聞き手としては、おそらく、海外留学に行って価値観が変わった、と言ったようなことばが欲しかったのだろう。

 残念だけど、私はあまりそうは思えないのだ。海外に2週間行ったところで人が急に変わるのか?もちろん、新しい価値観や文化の違いに刺激を受けることはあるだろう。ただ、たかだか2週間の経験で今までの積み重ねてきたものがそっくり変わるとか、それほどまで人生が薄かったのか?と思ってしまう。人によるだろうが、まるでその枠を作りたいがために言葉を引き出しているようで、私は気味が悪かった。

 取材の記事を読んでみたけれど、所々表現に首を傾げる点が多くて、全部赤で修正したい気持ちに駆られた。流石にそんなことはしなかったけれど。自分が伝えたかったことと、相手が受け取ることには相違が大きいことを身をもって思い知らされた。

 ホームステイも、取材も、悪い思い出ではなかったのだけれど、単に私はそういうことが苦手なのだろうな、とだけ思った。それだけ。