雑多

日記です。

問題集とボールペン

 最近、英語の勉強を始めた。文法と長文、英文解釈である。大学受験の時の参考書を引っ張り出してきて、基礎からやり直している。何年も経つと、すっかり忘れてしまうようで、初心者向けなのに間違えてばかりだ。

 大学院に行こうと思っている。なんとなく。就職指導課にはもっとちゃんと決めろと言われたけれど、「この研究がやりたい」ともう決まってたらとっくに取り掛かってるだろうなと思う。もう少し勉強がしたいという理由で進学しちゃいけないんだろうか。年齢のことを言われたけれど、たかが2年でそんなに違うんだろうか。浪人した私は、そんなに価値が変わるんだろうか。

 大学院入試には英語がある。そのために少しずつ勉強し始めた訳だけれど、浪人していた時より勉強している気がする。毎日論文を読み、英語の問題集と向き合い、大学の課題をこなし、就職活動のためのエントリーシートを書く。なんだか1日があっという間に過ぎてしまう。

 もし全部上手くいかなくても、いいんじゃないかな。上手くいくように頑張るけれど、別にそこで躓いても、それはそれで面白がれる気がする。

紅茶とハンドクリーム

 寒くなってきたのでハンドクリームを新調した。ハンドクリームというのは、毎回使い切らないうちについ新しいものを買ってしまうから、ゾンビみたいな使いかけの者たちが、化粧品を置く棚にゴロゴロ転がっている。それでもなんだか冬が来ると新しいものが欲しくなって、それが冬が来た証のように感じている。

 今回買ったのはロクシタンの紅茶の香りのハンドクリーム。ロクシタンは香りが強すぎてあまり得意じゃないのだけれど、シアのテクスチャが好きで、今回香りが良く、比較的すぐ飛ぶ柔らかい物なので買ってみた。

 ヴァーベナが好きだけれど今の時期にさらりとしたテクスチャは保湿力に欠けるし、何より、寒い。

 結構今回のはお気に入りで、珍しくすでに半分くらい使い切っている。これはゾンビにならないかもしれない。

大人のクリームソーダ

 海の売店で、大人のクリームソーダたるものと出会った。メロンのリキュールで作られた、見た目はクリームソーダなのだけれどアルコールを含むものだ。暑い日だったからインスタ映えする写真を撮る前にソフトクリームは溶けて垂れた。人の少ない平日の海辺に、贅沢な飲み物だ。

 自宅でも作れないかと思い、midoriというリキュールでも買えばいいのか、なんかと思い立った。しかし私は甘いリキュールが苦手だし、700mlくらいのボトルを買うのも嫌だった。飲みきる自信がないのだ。家になんとメロンオイルを発見したので、ウォッカと食紅で作ることにした。

 レシピは、本当に適当で、グラスにウォッカを注ぎ、メロンオイルを垂らして緑の食紅を混ぜる。氷を入れてウォッカの3倍くらいの炭酸水を注ぐ。ソフトクリームの上の部分だけのアイスクリーム「ソフ」の上を掬って乗せたら完成。甘さはアイスクリームの甘さだけで、なんとも美味しい。f:id:waritododemoe:20200613212323j:image

 ウォッカは無味無臭でクセが少ないのでなんでも美味しい。あんまり回らないので沢山飲めるのもいい。でもちゃんと、ほろ酔いの感覚で気持ち良くなれるから好きだ。

 最初はほろ酔いのメロンソーダ(?)を使おうと思ったのだけど、とても甘そうだったし、多分ほろ酔いにならないと思ったからやめた。私はアイスクリームは大好きなのに、甘い飲み物は得意ではないのだ。自分でも不思議だ。

 さくらんぼを買ってくるのを忘れてしまった。海の店ではさくらんぼの代わりにラズベリーが入っていたが、赤が加わるとよりキュートになる。

 簡単に、家の中で小さな贅沢をして、自分を可愛がってあげるのって大切だ。

 いい気分になったので、朝井リョウ『何者』を読んだ。一度読んだとき、なんだか怖くて読めなかったのだが、今日はほろ酔いでいい気分なので怖がらずに読めた。たぶん、素面だったら読めない。あまりにもそこにあるのはリアルで、ぞわぞわする嫌悪感は、同族嫌悪とかそういうものだ。

 雨の日でどうにも調子が悪い時は、体に悪いことをしがちだが、こういう時こそ、自分に優しくしてあげたい。

酒瓶とチョコミント

 高校生の時、カナダに2週間ホームステイしていた。学校行事の一環で、私の高校は、2年生の初めに学年の全生徒が渡航する。とはいえ学年で12クラスもあったから、行き先はクラスによって違っていた。

 私はたまたま、カナダのビクトリアという小さな街に行った。バンクーバーから船に乗って行くところだ。自然が豊かで、住人も比較的裕福な人が多く、穏やかな街だった。海が近くて、私はよく散歩に行ったことを覚えている。

 あの時私は、既に摂食障害で、滞在中も何回か吐いた。甘すぎる現地の食べ物に耐えられなかったのだ。過食嘔吐で動けない日も何日かあった。言葉が通じないつらさや、慣れない異国の生活に戸惑い、疲れもあったと思う。私は英語が得意ではなかった。幼少の頃から英会話を長くやっていたおかげで発音だけはそれっぽいのだが、語彙や単語が足りないので、言葉にできないのだ。後半にはホストファミリーとも、ジェスチャーを含めて色々伝えることができ結果的にはいい旅ではあった。

 パートナーになった女の子が結構自由な人だった。レストランでご飯が出てくるまでの間、文庫本を読み始めたのはちょっと腹が立ったけど、そこまで不愉快だとは思わなかった。彼女とはそこまで仲良くはなかったと思うけれど、何故か、私は声を掛けられた。ただ彼女は私といた、それだけだ。今はどうしているか知らない。とても勉強のできる子だったから、きっと優秀な大学に進学したのだろう。不器用だけれど、悪い子ではなかった。

 実を言うと、あまり多くのことを覚えていない。ぼんやりとしか思い出せない。多分、私にとってそこまで驚いたり、感動したりしたことではなかったのだと思う。私はその時、自分の身体の事への心配事の方が大きかった。それと、この滞在から随分と時間が経ってしまった。もう5年以上前のことだ。鮮やかに思い出すには、時間が経ち過ぎている。

 何故こんなことを思い出したのかというと、少し前に取材で留学について聞かれ、話したからだ。聞き手としては、おそらく、海外留学に行って価値観が変わった、と言ったようなことばが欲しかったのだろう。

 残念だけど、私はあまりそうは思えないのだ。海外に2週間行ったところで人が急に変わるのか?もちろん、新しい価値観や文化の違いに刺激を受けることはあるだろう。ただ、たかだか2週間の経験で今までの積み重ねてきたものがそっくり変わるとか、それほどまで人生が薄かったのか?と思ってしまう。人によるだろうが、まるでその枠を作りたいがために言葉を引き出しているようで、私は気味が悪かった。

 取材の記事を読んでみたけれど、所々表現に首を傾げる点が多くて、全部赤で修正したい気持ちに駆られた。流石にそんなことはしなかったけれど。自分が伝えたかったことと、相手が受け取ることには相違が大きいことを身をもって思い知らされた。

 ホームステイも、取材も、悪い思い出ではなかったのだけれど、単に私はそういうことが苦手なのだろうな、とだけ思った。それだけ。

 

鯖缶とオイルサーディン

 最近鯖缶にハマっている。あの、骨の柔らかくなったほろほろとした食感が好きだ。水煮でも、しょうゆ味でもいい。とにかく、3日にいっぺんくらい食べている。

 遠隔授業が昨日から始まり、案の定大学のメールのサーバーが落ちた。鯖落ち。鯖はおいしいけどこっちの鯖は食えない。

 学生が喧しくてイライラする授業とかに比べれば、教員の声だけ聞こえるから、これはこれでいいのかもしれない。姿が見えなくても、話が面白い人は、聞き入ってしまう。ラジオと一緒だ。

 先月から続けている仏語のアプリは、ちゃんと毎日続けることができて、今日で33日目になっていた。ここまで継続できたことって今までなかったからすごく嬉しい。残念ながら、仏検は中止になってしまったけど、のんびり仏語の学習を続けていこうと思う。

 今日は休みの日で、何も授業がない日だ。本当は、やるべきことはいくつかあるのだけれど、いかんせん昨日の疲れもあってか、どうにも何もしたくない。とりあえず靴箱の衣替えをして、自転車に油を差すくらいはした。ただ、勉強はまだしていない。

 本当は4月中に数学1Aを終わらせるつもりだったのだけれど、結局終わらなかった。しかし、微積分をできるようにならなければならないので、先週から微積分をやり始めたのだ。今日はそれの、積分をやらねばならない。

 どうにも机に向かいたくない。そんな感じでウダウダしている。よくある。映画でもみてしまえばよかった。観たい映画が沢山あるのだ。

 自粛期間で暇を嘆いている人を散見するが、私は逆に忙しくなって、映画を見る余裕がない。引きこもっていても読むべき文献が山積みだし、書きかけの論文や積読も盛り沢山である。そこに加えて数学もやっているから、てんてこ舞いである。

 てんてこ舞いな生活であるが、4月半ばに不眠症治療のため心療内科にかかり、ちゃんと薬を服用して夜22時に就寝する生活と、三食きちんと食べる生活を始めた。その為間食もしなくなり、2週間で体重は2kgほど落ちた。食べ吐きもない。拒食もないし、我慢している感じもしないのでストレスもない。これはあまり良くないことかもしれないが、何かイライラすることがあっても、眠剤飲んで寝て仕舞えば強制終了で1日が終わる。翌日になってもイライラしてることもあるが、大抵は落ち着く。

 オンラインカウンセリングも併用していて、メンタルはすこぶる安定している。

 受験生の時よりも今の方が勉強している気がするし、毎日同じことを繰り返しているものの、まあまあこの生活を楽しんでいる。通学時間がめちゃくちゃかかるから、もう後期もこのままでいい気もしてきた。対面で会えないから、偶然性が欠如してしまって、あら奇遇ですねご機嫌よう、なんてお喋りができないことくらいで、今のところ問題はない。

 最近は家の人間ともそこそこ上手くやっている。私に余裕ができたからかもしれない。余裕、大事。

飴玉とペールエール

 ブログを書くのを随分放置してしまっていた。気がついたら冬もおわり、桜が綺麗な時期に。

どうにも巷を流行のおニューなウイルスのおかげで生活に制限が。図書館を気軽に利用できないことがこんなにも辛いとは。

 居場所は、居場所がないときに初めて気がつくものだ、というような文章を東畑開人著『居るのはつらいよ』でみかけた。

 人と集まることで得られる「居場所」の選択肢が、どんどん狭まっていることに気づく。

 友人と通話してみたりして、なんとか乗り越えようと試みている。今日もこれからリモート飲み会の予定。

 友人は気軽に電話をかけて話が出来るが、そうでない人もいる。たとえば、大学の教官とか。わたしはいろんな教員にお世話になっていて、どうでもいい雑談のようなものが、心の拠り所になっている自覚がある。メールでそんな内容はいちいち省いてしまうし、友達ではないので気軽に連絡しようとも思わない。

 先月まで、派遣社員として働いていて感じたことがある。それは、どうでもいい他愛のない会話こそ、大切なのではないか、というものだ。どうでもいい会話って、意外と、信頼の上でしか成り立たないんじゃないか。一見生産性のない会話が、コミュニケーションを円滑にするし、信頼を築く。

 どうでもいい会話が、意外と記憶に残っていたりして、生活の中でふとした瞬間にその人を思い出したりする。あるいは、一見世間話に思えることが、研究のタネになったりもする。

 それに、どうでもいい会話は、余裕がないとできない。必要に駆られている場合は、案件の対応に追われていたりして、一息つく間もない。学会で忙しい時期なんかは、中々アポだって取れないし、私自身も論文の執筆や課題に追われているときはそんな余裕もなくなったりする。

 ほんとうは、こういう時にこそ、自分を冷静に保つために、どうでもいい会話が必要な気がする。

 1日でもはやく、そんなどうでもいい会話と日常が戻ればいいと思っている。

 今私に出来ることは、手元にある書きかけの論文を書くことと、こんな時期だからこそ勉強することだ。たくさん学んで、考えて、話したいことを書き留めておこう。

 今日はこれからビールを開けるので、飲み過ぎないようにすることくらいか。

 

腹痛とトローチ

 また前回の更新からだいぶたっている。実をいうとまた体調を崩して寝込んでいた。ここ三カ月連続で月末は寝込んでいるから、だいぶ体の免疫機能とか諸々が弱っているのだろう。

 今回は虚血性大腸炎とみられる一連の便秘、下痢、嘔吐、倦怠感、寒気、下血というなにこれ神様ごめんなさい許してっていう腹痛オンパレードで二時間悶絶した後、食べれないので二日ほど絶食。食べれるようになって調子に乗って食べたら翌日腹を下すみたいな生活をしていた。おなか痛いときが一番信仰心が強い気がする。普段無宗教のくせに。ようやく落ち着いたと思ったらのどの痛み。嫌な予感。予感は的中して今度は咳が止まらない。風邪ひいたらしい。というかんじで一週間丸々体調不良である。そんな中でも授業もバイトも普通にあるので普通にこなしてたらがたが来た。

 前述の通りここ三カ月は体調不良がデフォルトみたいになってきて、やばさとかの感覚がマヒしてきたのだけど、さすがにまずいなと思い、今回はちゃんと耳鼻科にかかりました。薬飲んで、今日は一日家でゆっくり寝ていた。だいぶこれで回復して、鼻声かな、くらいまでに快復。残りも少しちゃんと治したい。

 三が日の行いが一年を決めるとはその通りで、今年一年は一日から風邪を引き、2,3日はふらふらしながら出勤していた。そのせいか一年を通して体調不良が続いていた気がする。だから12月中になんとしても体を整えて、来年は良い年になるように健康で居たい。

 それに伴い食事をちゃんととるようにしている。ごはんを食べるのはどうも苦手だし、太るから避けたいのだけど、それでも無理やり食べている。頑張れ私。

 統計学の勉強を始めた。初歩の初歩で、今ようやくカイ2乗検定。楽しいねこれ。お薦めしてもらった入門書がとても良いので楽しく勉強している。勉強は楽しいものだ。これで文献ももりもり読めるようになったら最高である。